以前に書いたかもしれませんが、毎年発表される高齢者番付の名前公表を個人情報保護の名の下に、匿名での発表希望が多くなったそうで。その理由の多かったもののひとつがこれ。
近所にその該当する高齢者がまだ生きているということを知られたくないから。
詳しく言えば、ご近所にはもうその人はいないことになっているのですね。
もしくは、老人施設などに放り込んでいることを知られたくないと。
もちろん、家族がその老人(家族の一員)を家庭内でどのように扱っているのかまではわかりません。ただ、対外的には生きていては困る存在な高齢者が確実に増えていると。
悲しくありません?。
最近、あそこのおばあちゃん(おじいちゃん)見かけなくなったよね。。。
亡くなられたのかしら?。どうしたのかしらねぇ。
そういう話は、なかなか近所付き合いをしていたとしても直接聞きにくいことではあるけれど。
高齢者番付の公表というのは、いろいろな意味があるのだと思う。
一般的には明るいニュースとして報じられる。ただし、それはこんな高齢なのにまだまだお元気という場合に限る。寝たきりで意識もなくなってもう10年にもなりますが、なんと今年で100歳。まだまだお元気でいらっしゃいます〜〜なんて女子アナが病室から中継なんて事はありえない。
こんな高齢な方でも、この国では幸せに生きていけるだけの社会保障制度が充実していますよという宣伝でもあるのだと思う。
残念な事ながら、高齢者の年金に一家みんなが喰らいついて生活の糧にしている家庭がこの国には少なくないという事実がある。年金はその人のためではなく、家族のために。だから、その家庭の高齢者は出来るだけ安く家族に迷惑をかけないような形で扱われる。そう、その人のために使うと家族が生きていけないから。
露骨に言う家族がいる。どんな形でもいいから、出来るだけ長く生かせてくださいと。
出来る限りの治療はしてくださいと。
ただし、自分達の家庭に迷惑がかからない形で。在宅介護?そんなのありえないと。
そう、要するに、社会の目から遠ざけられ、家族からもすでに家族の一員ではなく単なる金づるとしての存在。永遠に我が家に年金という確実なお金を運んできてくれるありがたい存在。でも介護なんてまっぴらゴメン、世間ではもう死んでいることになっている。
国も世間も個別の家庭のことには口は出せない。
そういう形であれ幸せに感じる高齢者もいるかもしれない。
夜に死亡診断をしようと病床を訪れたら、あと1日生きていたことにしてもらえませんかと聞かれることがあるそうな。もう1日生きていたらその月の年金が支払われるからと。
何十年生きてきて、たった1日。カネかよ。。。その人の人生って一体なに?。
高齢者介護と年金。出ては消える話。
もう、十分に生きた人が死ぬ間際になり、カネのために生きながらえさせられることを選択させられる光景はもう見たくない。だからといって、病院や施設に入った高齢者の年金を必要分以外は支給しないことにしたらどうなるか?。目に見えてますよね、在宅でろくな介護や治療も受けられずに人間以下の扱いをされる高齢者が増えることは。。。生きていさえすればカネになる。。。
まだ生きていることを知られたくないから。
この意見に相当なショックを受けたのは私だけではないかもしれない。でもそれも事実。
わからなくもないけれど。。。(もちろん、老人を介護できるだけの余裕がある家庭はまだまだ少ないかもしれない。。。)
詳しく言えば、ご近所にはもうその人はいないことになっているのですね。
もしくは、老人施設などに放り込んでいることを知られたくないと。
もちろん、家族がその老人(家族の一員)を家庭内でどのように扱っているのかまではわかりません。ただ、対外的には生きていては困る存在な高齢者が確実に増えていると。
悲しくありません?。
最近、あそこのおばあちゃん(おじいちゃん)見かけなくなったよね。。。
亡くなられたのかしら?。どうしたのかしらねぇ。
そういう話は、なかなか近所付き合いをしていたとしても直接聞きにくいことではあるけれど。
高齢者番付の公表というのは、いろいろな意味があるのだと思う。
一般的には明るいニュースとして報じられる。ただし、それはこんな高齢なのにまだまだお元気という場合に限る。寝たきりで意識もなくなってもう10年にもなりますが、なんと今年で100歳。まだまだお元気でいらっしゃいます〜〜なんて女子アナが病室から中継なんて事はありえない。
こんな高齢な方でも、この国では幸せに生きていけるだけの社会保障制度が充実していますよという宣伝でもあるのだと思う。
残念な事ながら、高齢者の年金に一家みんなが喰らいついて生活の糧にしている家庭がこの国には少なくないという事実がある。年金はその人のためではなく、家族のために。だから、その家庭の高齢者は出来るだけ安く家族に迷惑をかけないような形で扱われる。そう、その人のために使うと家族が生きていけないから。
露骨に言う家族がいる。どんな形でもいいから、出来るだけ長く生かせてくださいと。
出来る限りの治療はしてくださいと。
ただし、自分達の家庭に迷惑がかからない形で。在宅介護?そんなのありえないと。
そう、要するに、社会の目から遠ざけられ、家族からもすでに家族の一員ではなく単なる金づるとしての存在。永遠に我が家に年金という確実なお金を運んできてくれるありがたい存在。でも介護なんてまっぴらゴメン、世間ではもう死んでいることになっている。
国も世間も個別の家庭のことには口は出せない。
そういう形であれ幸せに感じる高齢者もいるかもしれない。
夜に死亡診断をしようと病床を訪れたら、あと1日生きていたことにしてもらえませんかと聞かれることがあるそうな。もう1日生きていたらその月の年金が支払われるからと。
何十年生きてきて、たった1日。カネかよ。。。その人の人生って一体なに?。
高齢者介護と年金。出ては消える話。
もう、十分に生きた人が死ぬ間際になり、カネのために生きながらえさせられることを選択させられる光景はもう見たくない。だからといって、病院や施設に入った高齢者の年金を必要分以外は支給しないことにしたらどうなるか?。目に見えてますよね、在宅でろくな介護や治療も受けられずに人間以下の扱いをされる高齢者が増えることは。。。生きていさえすればカネになる。。。
まだ生きていることを知られたくないから。
この意見に相当なショックを受けたのは私だけではないかもしれない。でもそれも事実。
わからなくもないけれど。。。(もちろん、老人を介護できるだけの余裕がある家庭はまだまだ少ないかもしれない。。。)
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