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医療費が高いそうですが、、、。
いつもたいして忙しくはない病院で当直をしていて思うのですが、言葉は非常に悪いのですが、死ぬのを待っているだけの患者さんは非常に多いです。

ただし。。。

あなたの大切な家族が死にかけています、もしこうすればもう少し生きられるかもしれませんが、どうします?(実際にはもう少し丁寧に説明しますが)と聞かれ、普通の方であれば出来るだけのことをしてくださいと答えるのは、当然当たり前の事なのですが。

医者の考える(というか、医学的に治療しうるということ)出来ることが、患者様の家族の思っている愛する家族の末路に対する選択と必ずしも理想的な一致を見ることはまずないのでは、、、と。

医学的に患者を生かすためにできることを本当にやってしまうと、管が一杯体に繋がれ、心臓や腎臓が弱ってもいくらでも治療できるため、見るも無残で変わり果てた姿になっていくのを見ることになることも少なくない、こんな姿になるならば、あの時楽に死なせてあげれば良かった、、、と、、、そこまで死に行く家族を見て思える患者さんはおそらくはいないのだけれど、、、。

医者から見てどう考えても、この延命は無駄、、、というか、、、。
え~書きたいことがどんどんずれてきている。軌道修正。

最終的な結論(暴論)

家族の希望で延命させてしまったものの、医学的に不可逆な状態になれば、そのあとの延命をさらに家族が希望される場合、それは、、、

私費治療にすべきだと思う。(これが結論)

大変な暴論ではありますが、改善回復の可能性のかけらもない、家族も医者も既に死を納得していているにも関わらず、医学的データーに基づき、挿管、昇圧剤、高カロリー輸液なんてものは生易しく、抗生剤長期多量投与、ましてや輸血なんてされている患者を見ると、、、。

ああ、無駄な医療費バカスカ使われているなぁ、、、と。
かと思う一方、輸血を途中で止めるとその分のコストが取れないから、死んでいるけれど家族が到着する前に全部入れてしまおう、、、なんて小細工をする自分がいたり。

安楽死やら、そういう話にも繋がっていくのかもしれないけれど、老衰という死因をどうしても受け入れる事が出来ない人は結構多い。病気が治らないのは何故?、良くならないのは何故?、入院して体が弱くなった、食欲が無くなった、足腰が弱った、ボケた、それはすべて病院の治療やケアが悪いから?。

どうして心臓が拍動しない?。血圧が上がらない?。おしっこが出ない?。呼吸が弱い?。

どうしてって、、、老衰なんです、臓器の寿命なんです。
寿命が尽きかけている臓器に鞭打っても治らないと言いたいのですが、、、意外とこれが鞭打つと動くんです。

80歳や90歳でも今まで元気で急に、、、ならフルパワーの治療はもちろん必要です。でも、、、

ああ、ここまでやっちゃったのね、、、と思えて仕方が無い患者が多すぎる。(私達、雇われ当直医はそういう患者さんが急変した時に始めてカルテを見て、死亡確認するだけの役割ですから、その患者さんになんの人生背景も思いいれも感じないから余計にそう思う)

死亡確認をさせていただいた患者様に、面と向かって医療費の無駄だと思うことは決してありません。しかし、これはどう考えても医療費の無駄だろうと思われる終末期医療は非常に多い。そしてそれらは非常に高額です。

誰がそれを望んだ?。

必要ない治療に関しては、望んだ人がその対価を支払うべきです。

ただ、患者の主治医にとって必要のない治療はありえないのがこの問題の大きな壁ではあるのですが。。。

相当この記事、文章が下手です。
大いに誤解を得そうな記事ですが、つたない文章のどこかから何かを感じていただければ幸いです。
コメント
この記事へのコメント
自宅で死にたいなぁと思います。
今時、なかなか難しいのでしょうが。。。
2006/01/05(木) 13:31 | URL | SNOOPY #-[ 編集]
在宅での死はまだまだこの国では贅沢な事なのかもしれません。
家族や伴侶の相当な負担を強いますし、犬猫のように気軽に一時預かりしてくれるところもないですし、、、。
だからといって、ぽっくり死ぬのは誰の手も煩わせず確かに理想ですが、残されたものの悲しみは予想された死よりもはるかに大きいですからね。やるだけのことはやったのだから、、、そろそろかなぁ、、、と心の準備も必要ですし。

在宅介護をしている方は、その生活に慣れてしまっているので、やっている時はなんの疑問も持たないようですが(持てば出来なくなるのですが)、死んで初めてこんなに生活を制限されていたのかと思うこともあるそうです。お金や時間に替えられない幸せももちろんありますけど。

死ぬということは、実感するまではいつ死んでもいいと思うのでしょうが、いざそろそろいつお迎えが来てもいい年齢や持病の悪化などが来ると、もっと生きたい、なんとしても生きたい、でも下手に生きると周りに迷惑もかかるし、、、と、口にはしなくても心の深い所で葛藤が生じるのかもです。

日本(日本人)の死に対する宗教観?は結構難しいような気がします。
2006/01/07(土) 22:44 | URL | yusanako #JalddpaA[ 編集]
此処から先は終末期医療ですよ~と判断するのは難しいと言うか・・・・
治る?治らない?延命?それとも治療?・・・・自問自答。
病院で、施設で容態が悪くなった方が入院されている姿を拝見していたのですが、クチから食べる事も出来ず意思の疎通も出来ず。。。それでも安定したら又施設へと戻って行かれ。
家族の方がお見舞いに来る事も無く
それを何度も繰り返し。
生きていて欲しいと願うのは本人以外の人間のエゴちゃうん?と、見てると思ってしまいました。
終末に関しては普段から家族で話し合い、自分自身も考えておかねば!と思いますね。
2006/01/13(金) 13:18 | URL | ひさ #-[ 編集]
日本の各種宗教団体に、臓器移植、脳死、終末期医療、安楽死などをアンケートした報道が最近多いですが、日本の死に対する宗教観は他国(特に欧米の医療先進国)と比べ、相当に差が大きいと私は思います。

死に直面していない人でも、海外文化も吸収した若い世代が年をとればかなり変わるかもですが、日本人にとって、死=無ではないと私は思うのですね。必ずしも神に召されることが幸せではないのだと。

おそらく、医者は目の前の人を救う、命を長くすることに全力を挙げることだけを考え、こういった話題はその他の宗教家や識者がもっと全面に立って議論すべきものだと考えます。

ただし。。。
金で命は買える時代ですし、医者があきらめればすぐにでも終わる命がこの国には多い。そう、医者が人の生死を決めているのですね、実際には。

論じてはいけないという領域なのかもしれません。ただし、お金が絡んでいるのは事実ですから、やはりみんなで考えるべき問題ではと思いますが、それは多分、1人の医師が叫ぶのではなく、看板を背負った代表が別の識者と議論すべき問題だと思います。

すいません、答えになってませんね。。。
2006/01/14(土) 23:23 | URL | 遊佐奈子 #-[ 編集]
仰られてる事、ニュアンス伝わりますよ。レス有難うございます。
自分の親が現在ガンで闘病中ですが、死にたい・死なせて等など混乱していた時期に宗教観も考えましたもの。親は無宗教で、むしろ嫌ってるタイプで(苦笑)・・・でも宗教=死生観 がある方が救われるんちゃう?と。 ただ何事にもお金が絡むので議論も難しかったりするのでしょうね。 医者に全てを求めるのは間違ってるし不可能だと思います。病院において、もっと色んな体制が整わないかんぁ~と切に願う・・・・が、これもまたお金が絡むんですよね。
2006/01/15(日) 08:09 | URL | ひさ #-[ 編集]
 初めて投稿します。私自身は2年前に卵巣がんを患い手術後に6クールのTJと3ヵ月ごとの追加治療を5回して、多分?現状復帰しました。
 この間に90近い母親が施設から病院へと移りながら亡くなりました。
 社会で働く人への医療と90近い人間への医療は違って当然と思うのと、でもそういう論理は優れて役に立つものは生きるべきで、役に立たないものは死んでいいということにつながるわけで、ナチスの優生思想につながるよねと思い、なんとなくその方向は言えないことだろうなあと思ってしまいました。医療はどうしても生死を扱う以上問題の根底は人間の命にかかわってしまうんでしょうねえ。
 「破裂」という小説をよみました?なかなかシュールと思いながらもこれはこれでいいなあという感想です。
 このHPを今はじめて拝見してるので見当ちがいのことを書いていたとしたらごめんなさい。
2006/01/15(日) 10:07 | URL | きらく #-[ 編集]
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2006/01/21(土) 17:49:40 | ナビラボ
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